1982-04-08 第96回国会 参議院 外務委員会 第4号
鹿地亘夫妻がどうであったかはわからない。しかし乱世においては秘密はない。本当のことを知って情報化時代は機械だけではない、機械だけでやったのでは、官僚組織だけでやったのではフランス大統領選挙にも負けることがわからないし、アメリカの大統領選挙においてもあのようなジャーナリズムや情報機関と逆の結果が出るとはよも知らない。
鹿地亘夫妻がどうであったかはわからない。しかし乱世においては秘密はない。本当のことを知って情報化時代は機械だけではない、機械だけでやったのでは、官僚組織だけでやったのではフランス大統領選挙にも負けることがわからないし、アメリカの大統領選挙においてもあのようなジャーナリズムや情報機関と逆の結果が出るとはよも知らない。
鹿地亘さんが行ったところです。つまりここらの点は、私の議事録は「CIAはここにいる」という本になって、三分の一ぐらい私の議事録ですけれども、明確になっている。後藤田さんが警察庁長官でございまして、自今、CIA絡みと思われる事件であっても捜査の対象にすると答えて一応区切りをつけたいきさつがございます。したがってこれはわからぬ。
作家の鹿地亘さんが監禁をされていた場所もこの場所であるということは、私どもの調査と、それから鹿地さんからお聞きしたことによってほぼ確実なことである。 私はこのことを御紹介申し上げ、いまアメリカ局長はニューヨーク・タイムズのことを言いましたけれども、このニューヨーク・タイムズでは、これがCIAだということをはっきり言っています。
猪俣浩三さんが鹿地亘さんのいにしえの事件を、沖繩から帰ったいきさつを法務委員会で、どこでつかまって連れていかれたか——あのときに山田さんがものを言ったですな、コックさんが。いま共産党におられますけれども、この方が言ったことから全部ものに書いておられますね。しかもこれは架空なことではない。法務委員会を通じて調べて、あと本人に会って全部調査したことである、こう善いている。大した事件です。
それは、法務大臣にお聞きするのですが、昨日鹿地亘なる人物が無罪の判決を高裁で受けた。これがアメリカのキャノン機関というものにつかまって、そしてこの国会の問題にもなった。そしてこの法務委員会で非常に論議された。ところが、この鹿地を電波法違反で調べたのは、いま厚生大臣をやっておる斎藤当時の国警長官と自民党の代議士である田中元警視総監。
○猪俣委員 占領中の裁判に対して特例を設けることに対しましては、お二人とも否定的のようでありますが、私は鹿地亘君の不法監禁事件を担当いたしまして、いかに当時の占領軍が無理をやったか、これの証拠というものは全部占領軍、いま言えばCIAの前身だったキャノン機関から提出されたものです。それを日本の検察官は全部証拠として出して、自分自身で捜査したのが何一つないのです。
だから、松川事件だ、下山事件だ、鹿地亘事件だ、青梅事件だ、いろいろなものが起きてきた。これは言いますまい。とにかく私ども政治家として頭に去来するものは、いま判こを押すなら直ちに命を失われる者があるということを前提として、この法案ができたものであります。
実は鹿地亘君の電波法違反事件を東京地方裁判所の一審でやりましたが、判決まぎわになって、判事は高等裁判所へ転勤させられたのでございます。その裁判長は、高等裁判所の裁判長になりながら、この事件についてわざわざ地方裁判所へ出てきて結審をされ、判決をされたのです。私はこれはこういうふうにやっていただくといいと思うのですが、いま、地方ですが、奈良の五条の裁判所で山林の境界問題で非常にむずかしい事件がある。
しかも、その中に二世の松井という人物がおって、これは鹿地亘を監禁した人物ですが、カンボジア国家から追放せられた。もとヨーロッパのボンにありましたCIAの本拠が、いま東京に移ってきた。そうして中国、ベトナムその他のアジアに対する諜報活動をやっておる。こういうことがたくさん報道せられ、本にもたくさん出ているのです。
なぜ私がそれを伺うかといいますと、前にやはり米国の機関が外国人を拉致した事件としてラストボロフ事件というのと鹿地亘事件というのがあったわけでございまして、ああいうふうな問題があっただけに、今回は幸いにして問題にならないにしても、私たちは危惧するわけでございますので、この点を確かめておきたいと思います。
たとえば鹿地亘君の事件でもそうです。私は鹿地君に対しては別に関心を持っておりません。しかし、アメリカのCIAにつかまって、あげくの果て神宮外苑かどこかに捨てられたという事件を見て、私は怒髪天をつきました。これはひどいことです。こういうようなことの中に、また三橋という奇妙な人物があらわれて、もうわけのわからぬ状況になっておる。そして、だれもこのなぞを解く人はないでしょう。
なお、私が弁護いたしておりまする鹿地亘の事件、唯一の証拠でありまする鹿地から三橋という男にやったというはがき、これも紛失したと称して本物は出ておらぬ。どうして紛失したかといえば、あの鹿地事件を電波法違反で調べている警視庁の主任、警部か警部補か、自宅へ持っていこうとして途中で目黒駅か何かでカバンからすべり落としたという答弁です。なお追及しますと、いや実は写真をとっておくためだった、こう言う。
そうすると、鹿地事件において、一件書類が検察庁へ全部送られているにかかわらず、そういうただ一つの物的証拠である鹿地亘から三橋という男にやったというはがきをどうして警視庁の刑事が持って歩くのか。それを目黒駅のホームで落としたというようなことは、それはどういうわけでそうなるのか。
また鹿地亘事件におきましても、唯一絶対の証拠である鹿地が三橋という電波男にはがきを出したというはがき、これも警部が持って歩いていて落としたと称して、本物がない、写真だけあるといって、本物は出さない。それだけですよ、物的証拠というのは。それを紛失した。
鹿地亘その他に非常に迷惑をかけているわけだ。この日本人に迷惑をかけたのはガリオアの金でかけられたわけなんだ。だから私聞いているのです。
たとえば私がこの法務委員会で数年前に取り上げました鹿地亘の事件でも、鹿地亘がアメリカの軍隊によって不法に監禁せられたというときには全国の同情が集まったにかかわらず、一たん彼がスパイをやった疑いでとらえられたということになると、あべこべに今度は鹿地を国賊呼ばわりし、その真相発見に対して努力している私に対してさえ脅迫状が来るということは、スパイであったかどうかを私ども問題にしたんじゃありませんし、スパイ
鹿地亘の事件におきましても、向うの報告によれば、彼は身の危険を感じてアメリカの友人に保護を頼んだのだ、こういうようなことを発表しております。警察もそういうふうにおとりになつて、その発表を支持しておられたように私は記憶するが、内容はまつたく違つておつた。沖繩まで軍用機で運ばれておる、こういうような始末なんです。沖繩の友人をたよつて彼は爆撃機に乗せられて行く道理がない。
鹿地亘と同じことになる。あれは日本人であつたが、外国人だつて同じことじやありませんか。この海外へ脱出するというようなことは、現在においては外国の相当の機関が協力しなければできないことなのです。ですから問題はラストボロフが逃げたということじやない。これは自分の生命に諸君の言うように危険があつて、どうしてもソ連に連れもどされることがいやで逃げたとすれば、人情上同情すべき点もあると思う。
先年当法務委員会におきまして鹿地亘の失跡事件を取扱い、これが不法監禁なりやいなやを審理いたしました。その際に明らかになりましたことは、しているはずであります。しかるに今回また軍用機によってひそかに外国へ連れ出されるというような事件が起りました。これに対して、日本政府の態度というものは何らわけがわからない。
○井本政府委員 鹿地亘に対する電波法違反事件でございますが、これは御承知の通り三橋正雄という共犯者の自首に伴いまして発覚した事件でございまして、国家地方警察東京都本部におきまして、昨年の五月九日から八月二十二日までの間、前後六回にわたつて逮捕状の発行を受けまして鹿地を逮捕しようとしたのでございますが、鹿地が病気のため逮捕することができなかつた次第であります。
○並木委員 この際お聞きしておきたいのは、これと関連もあり、参考にもなると思いますが、例の鹿地亘の事件というものは、どうなつたのでしようか。
これはいつも捜査途上においては、検察庁の都合を国会からお尋ねがあれば、いつも同じお答えをしているのでございまして、御記憶にあると思いますが、鹿地亘氏の事件のときも、検察庁としましては、今捜査の途上にあるから、委員会にお呼び出しになることは中止していただきたいということを申し伝えまして、それは受入れていただいたわけでございます。
この事実をもつてしても、鹿地亘という人がスパイの容疑で取調べられたのではなくて、先ほどだれかもいいましたけれども、戦争中に中国においてフアシズムの反対のために闘つて参りましたこの鹿地亘君に対して、再びアメリカがスパイとして起用せんがために、ことさらに十一月二十五日逮捕をして、そうしてスパイになることを強要したという跡は歴然と見えているのであります。
○小林委員長 どうして鹿地亘という行前を覚えておりますか。